⑦伊勢本街道歩き(横野、柿野~玉城町、田丸)

3月9日、今回は7回目の伊勢本街道歩き。横野、柿野~玉城町、田丸を歩きました。朝9時00スタートする、天気は晴れ、気温は高く20℃ぐらいで歩くと汗をかきます、春以上に暖かい。大石を過ぎたとき、なんとツバメが2羽飛んでます!!こんな早い時期に見たのは初めてです。街道にはフキノトウ、スミレ、スイセンが見られ梅の花も満開でした、春を感じ街道歩きができました。伊勢本街道歩きも残すところあと少しのんびり歩きましょう。

コース:柿野→大石、不動院→津留の渡し場跡→仏足跡碑→物見の松→相可宿→西池上、常夜灯→伏拝坂→人柱供養塚→田丸神社→田丸城跡 コースタイム:約6時間30分  コース距離:約26㎞  メンバー:単独

伊勢までの距離   歩いた距離     累計距離      残りの距離
161㎞         26㎞         145㎞        16㎞
地図

伊勢本街道マップ
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&gl=jp&ie=UTF8&oe=UTF8&source=embed&msa=0&msid=105072461701349867628.0004722b6b4ec2a62e831&ll=34.569906,136.274414&spn=0.339244,0.411987&z=10

相可宿の道標 相可では熊野街道と伊勢街道とが交叉する。この辻にある「伊勢本街道」と刻まれた道標はこの街道で代表的なものとか。
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柿野 街道の通りの民家には笑門のしめ縄も見慣れてきました、「笑門来福」ですね。
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大石に向かう途中の街道沿いは玉石の石積みが多く印象に残りました。
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大石、不動院 812年弘法大師の開創本尊は弘法大師作と伝えられる不動明王、境内に「夫婦の滝」と国の天然記念物「ムカデラン群落」があった。「ランの一種で、気根と茎が交互に発生し百足の状態を呈し」「巨岩(炮烙岩)に水苔に似た姿で群生繁殖している」判り難いです、夏にピンクの小さな花が咲くそうです。
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津留の渡し場跡 松阪市茅原町と対岸の多気町津留を結ぶ渡しがあった所。「宮川の柳の渡しと共に伊勢本街道の難所と唄われている。」いくつもの峠を越え、ようやく平地に来たのに櫛田川の深い谷が参宮道者の行く手を遮ったのだ。「舟は両岸に張り渡した縄を手繰りながら進めた。昭和4年に津留橋ができるまで存続した。」(案内板) 津留側の河原を少し歩く、現在は難所と思えないほど川は穏やかである。
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仏足跡碑 地元の方から「足神さん」と呼ばれ仏像の代わりに拝み、旅人達はわらじを奉納して安全を祈願した。
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物見の松 義経の家臣、伊勢三郎が物見に登ったと伝えられる松の木が一本田んぼの中にあった。五代目の松です。松の木の前に「いぼ地蔵」「廻国供養碑」があった。
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歯痛(はやめ)地蔵 歯痛に効能があると伝えられている。今では想像できないが「この辺りには、昔参宮者のための茶屋や馬つなぎ場があった」らしい。
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相可宿 相可高校横の椋の古木
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相可宿 街道の家並み
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西池上の常夜灯 この常夜灯は上の傘が丸くなだらかでした。
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伏拝坂あたりの街道 竹の青さが印象的でした。
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人柱供養碑塚 昔正念という老僧が農家に逗留中に病にかかり、死期を悟って街道を往来する旅人の安全を祈って人柱に立ったと言われており、村人はこれを憐れみ供養のためにその上に塚を築き碑を建てたと記されている。
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田丸神社 
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田丸城跡  南朝・北畠親房氏ゆかりの城。この石垣は織田信長の二男・信雄が築いたもの。後に和歌山藩の領地になり家老久野氏が最後まで城主を務める。
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玉城町付近の街道がわかり難い、道標が新しいものがあるが、・・・はせ街道と熊野街道合流点という場所があったが、道を間違える。うろうろして高齢の女性に街道を聞くと親切に道案内してもらいました、ありがとうございました。

今回出会った街道沿いに咲いていた花
紅梅、白梅の花 
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フキノトウ
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スミレ
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スイセン
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白いタンポポ
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番外、大石不動院にはでかいアロエ?
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